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ベンチャー企業で働く学生のブログ

東京のベンチャー企業でインターン中。就職活動やキャリア、読んだ本、ニュースなどについて、日々考えたことを発信していきます。読者登録はお気軽にどうぞ。

「時代の変化」とは何なのか?(『未来に先回りする思考法』読書録)

 今回のテーマは、「時代の変化」についてです。

 最近は「変化の激しい時代になってきている」だとか、「これからの時代は◯◯になっていく」だとか耳にする機会は多いと思います。が、僕はもともとこういった言葉は嫌いでした(便宜的に使うことはありますが)。何が嫌かというと、時代とかいうよくわからないものに社会の変化をゆだねている感じ(人こそ時代や社会を変化させているはずなのに、思考停止し、あたかも人には関係ないところで変化が起こっているようなニュアンスを含む感じ)が嫌なのです。まあ、僕の主観なので、好き嫌いの話はどうでもいいです(笑)

 繰り返しになりますが、今回のテーマは、「時代の変化とは何なのか」です。人は意識的に、そして無意識的に社会を変化させてきた。そのメカニズムを知りたい。それが僕が大学2年くらいからずっと気になっている大きなテーマの一つです(ちなみに全然関係ないですが、なぜ”アフリカや日本などではなく”ヨーロッパで文明が発達したのかということも高校3年以来気になっていることです)。時代が勝手に変わっているかのように感じさせてしまうほど、人の意識や意図の届かないところで社会は変化しているけれども、人が社会を構成している以上人の行動や意識も少なからず社会の変化に影響を及ぼしているはずです。しかしそれについて明快に語ることができないことにモヤモヤしてきました(笑)

 さて、今回やっと本腰を入れて、時代の変化(多分これは「勝手に起きているかのような社会の変化」とも言えるはず)について、『未来に先回する思考法』という本の力を借りて、考えてみました。近年未来予測の本は数多く出ています。「これからの社会はこうなる!」みたいに声高に謳う人も少なくありません。ただ僕の興味は、何が起きるかではなく、なぜそれが起きるかという背景(メカニズム)なのです(更に抽象的・原理的なレベルでは、なぜ社会が変化するのか)。すなわち、「点」としての未来に起きる事象ではなく、「線」としての社会の流れに注目しています。前置きが長くなりましたが、自分にとって大切なテーマなので、途中で疲れないことを祈りつつ、書き進めていきます(笑)

※ちなみに今回は自分のテーマに従って本書の内容を解釈しているので、以下に書くことは必ずしも本書の本筋ではありませんし、本書の要約でもありません。本書について詳しく知りたい方はぜひ実際に読んでみてください。

未来に先回りする思考法

未来に先回りする思考法

 

 

テクノロジーが広まるプロセス

 ずっとモヤモヤしていた一つの原因は、テクノロジー(広義のテクノロジーを指します。政治、経済含む人間が発明してきたあらゆる”技”です。)について本質的に考えたことがなかったからです。なぜテクノロジーが生まれるのか、そしてテクノロジーは人々や社会にどのような影響を及ぼすのかということは、時代変化を考える上でも非常に重要です。そこでまずは、テクノロジーとは何かについて、『未来に先回りする思考法』より引用します。この本によれば、テクノロジーの特徴は3つあります。一つ目は、テクノロジーは、人間の機能を拡張します。人間は石器からインターネットまで、数え切れないほどのテクノロジーを生み出してきましたが、すべてのものに当てはまる本質的な特徴ではないでしょうか。例えば石器は人間の腕により叩き割る機能を拡張したものですし、文字や書籍は記憶という人間の頭の機能を拡張したものと言えますよね。そして、2つ目の特徴は、いずれ人間を教育することだと言います。

人間は課題を解決するテクノロジーを発明します。そして、時を経るにつれてそのテクノロジーは社会構造に深く組み込まれていき、いつしかそのテクノロジーの存在自体が人間の精神や行動を縛るようになります。

(『未来を先回りする思考法』P.30)

 このように、テクノロジーが社会に浸透すると、人々の思考様式や行動様式、もっと大きな変化の場合、パラダイムを変えてしまうことがあるのです。例えば近年の「仕事はどうなるか議論」は、人工知能などのテクノロジーが発達したからこその問いですよね。最後に三つめは、空間的な広がりです。先にもちょっと触れましたが、テクノロジーが一定の順番を経て社会に浸透していくのです。さて、ここまでテクノロジーの特徴についてみてきました。特に重要なのが、二つ目に述べた人間を教育するという特徴でしょう。時代の変化に適応するとは、まさしくこのことを指しているのではないでしょうか。例えば「これからの時代に求められている人材」なんて仰々しい議論がありますが、それは、「テクノロジー(現代の場合インターネットなど)が浸透した社会において、仕事として求められる人材とは」と言い換えることができるのです。

 テクノロジーの広がりについてはまた後で見ていくとして、ここではそもそもなぜテクノロジーが生まれるのかについて考えてみます。本書内で筆者は単純明快に「必要性があるから」と述べています。確かに、石器が発明されたのは切りたいものがあったから、叩き割りたいものがあったからです。貨幣が生まれたのは、物々交換よりも効率的に経済活動(等価交換)を進められるからです。このように、人々の必要性を起点にテクノロジーは生まれるのです。

 さて、以上、テクノロジーの広まりと誕生についてみてきました。テクノロジーには、①生まれ②広がり③人々を再教育するという一連の流れがあることがわかります(教育という表現は本書を基にしていますが、人や社会を規定するという言い方でもいいです)。当たり前じゃんと思うかもしれませんが、①~③の流れは単純なものではありません。それそのものとしては世界を変えうるテクノロジーでも、タイミング(コスト・倫理・技術・品質)によっては広がらないことがあります。例えば無線送電の技術を発明したのはニコラ・テスラですが、その名は世に知られることなく生涯を終えたそうです。その要因の一つは実験コストが高かったこと。2015年に三菱重工が実験を成功させるまで、およそ100年かかっています。技術的に可能でも、コストの問題でそのテクノロジーの普及が遅れることがあるのです。社会を変えうるテクノロジーが起こす未来をある程度予想できても、いつそれが実現するかを明らかにすることは、実は大変難しい問題なのかもしれません。次には、テクノロジーが広まるとはどういうことなのか、もう少し詳しく考えてみたいと思います。

 

テクノロジーは必要性だけで広まるのか

 1章では、時代の変化をテクノロジーという観点から考えてみました。時代の変化はやはり、おおもとを辿れば人々のニーズから始まっていたのです。しかしそれでもやっぱり、「人口知能が広まればなくなる仕事はあるし、そんな社会に適応しなくちゃいけないし、めんどくさい。」「勝手にテクノロジー広まるんじゃねえよ、もう十分便利だろ。」とか思う方もいるかもしれません。確かに私も、例えばこれ以上便利なスマホなんて必要なの?なんて思うこともあります。また、昔馬車に慣れていた人々は、「もっと早く移動したい」とか「馬より速い移動手段はないのか」とか思っていたのでしょうか?それとも車が発明されつつあることなどつゆほども知らず、今より速い移動手段など想像もせず、出てきた瞬間「おお!なんだこれ!」なんて反応をしていたのでしょうか。先ほど必要性などという話をしていましたが、人々は本当に車(または今より速い移動手段を欲していたのでしょうか)。「必要性があるからテクノロジーが生まれる」というのは物事を単純化しすぎてはいないでしょうか?そこで、本書に基づき、コンピューターの歴史についてみてみることとします。

 コンピューターも先ほどの原理に漏れず、人々の必要性から生まれました。しかし発明当時は今のように一般的に使われるのではなく、使用目的は軍事の文脈でした。初期のコンピューターは、砲撃の弾道を計算するために用いられていたのです。その後軍事用のコンピューターの発達を経て、1980年代にAppleがパーソナルコンピューターの販売を開始すると大ヒットし、個人がPCを持つ時代が到来したのです。こうしてみると、パーソナルコンピューターに対する人々の必要性とは別のところでコンピューターというテクノロジーが生まれていることがわかります(テクノロジーが必要性から生まれるという原理そのものを否定したいのではなく、社会を規定するという意味においてのテクノロジーの広まりは、従来の必要性とは関係なく起きるということが言いたいのです。)。したがって、「テクノロジーの”誕生”」と「社会を構成する大多数の人々の必要性」は必ずしも関係あるとは言い切れません(テクノロジーが広まることと必要性には関係があるとは思います)。ここで経営センスの論理 (新潮新書)の中での「(技術的に)できる」と「(顧客が)する」という区別を借用すると、重要になってくるのは、「できる」と「する」には断絶があり、「できる」から「する」までにどのような段階を踏んでいるのかということです。

 さて、話が込み入ってきました。上では結局のところ、テクノロジーが生まれてから人々に受け入れられるまでに何が起きているのかということこそ、テクノロジーの浸透を考える上で重要な問題だと言っています。テクノロジーの広まりは基本的には自由意思に基づきます。すなわち、人々が「これはいい」と思ったものしか広まらないのです。このメカニズムは、経営学の中で、イノベーター理論として知られています。下記の図を見てください。これは、消費者をイノベーター・初期採用者・前期追随者・後期追随者・遅滞者に5分類したもので、左に行けば行くほど新製品・新サービスを早く利用します。また、イノベーターは商品の真新しさのみに惹かれて購入し、初期採用者以降は商品のベネフィットを理解したうえで購入するとされています。裏を返せば、よくわかっていないけど「新しさ」に惹かれて購入する層が、最新テクノロジーと人々を繋いでいると言えないでしょうか。

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(出典:InnovaticaのHP)

この理論がすべての商品やサービスに適用されるとは思いませんが、テクノロジーが広まる要素の一つとして、新しさそれ自体が挙げられそうです。

 少し話を変えますが、飛行機に初めて乗った人はどんな人でしょうか?普通、落ちたりしないかめちゃくちゃ不安になりそうですが、それでも乗った人たちですよね。これは、乗らないとやばい人(早く移動する必要性に迫られていた人)か、乗る勇気がある人、、またはその両方を兼ね備えた人でしょう。当初から価値が明確にわかっているものについては、その必要性が極めて強い人や勇気のある人も、テクノロジの広まりに寄与したと言えそうです。

 さて、ここまで、技術の発達と人々の必要性の間にあるものについて考察してきました。読み返してみるとずいぶんと雑な気もしますし、事実に基づくものではない(思考のみ)ですが、必要性があるだけではテクノロジーは広まらず、その前には必ず”ファーストペンギン”がいることは確かではないでしょうか。

社会と人は相互作用である

 ここまで、テクノロジーという観点から時代の変化について考えてきました(正確に言うとテクノロジーの広まりまでですが)。社会と人は一致するものではありません。相互に影響を与え合っているある意味独立したものと考えた方が正確でしょう。社会は人なしで変化しませんが(というかそもそも社会は人でできている)、一人ひとりが元気になったからといって社会が良くなるほど単純なものでもありません。そしてその相互作用こそが「時代の変化」だと思うのです。テクノロジーが広まっていてそれに適応することを迫られているようですが、それも人がテクノロジーを受け入れてきた結果だということは忘れないようにしたいと思います。順序を正すと、テクノロジーを受け入れた結果、雇用などの問題が生じ、その対応を迫られる。そのようにして社会は「秩序」と「カオス」を繰り返しているのではないかと思います。