ベンチャー企業で働く学生のブログ

東京のベンチャー企業でインターン中。就職活動やキャリア、読んだ本、ニュースなどについて、日々考えたことを発信していきます。読者登録はお気軽にどうぞ。

「わからない」ことに耐え続けること

最近、鷲田清一氏の『おとなの背中』を読んで、ある一節に出会った。

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「ひとが勉強するのは、それこそ逆説的な物言いになるが、わからないという事態に耐え抜くことのできる知性の体力をつけるためでないのか。わからないものをわからないままに迎接するというわざを身につけるためではないのか。」

 

「生き方を軌道修正するためには、身につけている思考の初期設定を書き換え、フォーマットを変える必要がある。そのためには、新しいフォーマットをつくれるまで、ああでもないこうでもないと不確かな状態でいつづけられる思考の耐性が要る。無呼吸でどこまで深く潜ることができるか、それが験される。その験しの機会が、わたしたちにはなかなか許されない。ニュートラルでいられる場所、あるいは、ぐずぐすしている権利。それをわたしたちはもっと主張してよいのではないか。」

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「わからない」ことをわからないままにしておける強さ。上の2つの文章はその必要性を語りかけているように感じた。

私たちは、ブレない人に憧れる。確固たる信念やビジョンを求める。しかし、それはもしかするとただの「思考停止」かもしれない。自分が正しくないかもしれないという事実から、より良い答えを見つけられるかもしれないという事実から目を背けているだけなのかもしれない。

私はもっと、「疑う」ということを大事にしたい。「これで本当にいいのか?」と問い続けることを大事にしたい。

 

わからないことを問い続けたら、必ず自分の考えが「書き換わる」瞬間が来ると思う。自分の暫定解が崩壊する瞬間が来ると思う。そのプロセスを繰り返すことで、人は、重いと感じさせる言葉を、深いと感じさせる思考を、紡ぎ出せるのではないだろうか。

 

答えを出して突っ走ることは確かに重要だ。しかしそれはあくまで「暫定」解でしかない。この事実を忘れてはいけない。物事は、0か100かとか、YesかNoかとか、そんな風に単純に割り切れないことばかりだ。割り切れないモヤモヤを耐え抜く「強さ」は、ブレない「強さ」よりもよっぽど尊い気がする。