読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ベンチャー企業で働く学生のブログ

東京のベンチャー企業でインターン中。就職活動やキャリア、読んだ本、ニュースなどについて、日々考えたことを発信していきます。読者登録はお気軽にどうぞ。

「時代の変化」とは何なのか?(『未来に先回りする思考法』読書録)

考えたこと

 今回のテーマは、「時代の変化」についてです。

 最近は「変化の激しい時代になってきている」だとか、「これからの時代は◯◯になっていく」だとか耳にする機会は多いと思います。が、僕はもともとこういった言葉は嫌いでした(便宜的に使うことはありますが)。何が嫌かというと、時代とかいうよくわからないものに社会の変化をゆだねている感じ(人こそ時代や社会を変化させているはずなのに、思考停止し、あたかも人には関係ないところで変化が起こっているようなニュアンスを含む感じ)が嫌なのです。まあ、僕の主観なので、好き嫌いの話はどうでもいいです(笑)

 繰り返しになりますが、今回のテーマは、「時代の変化とは何なのか」です。人は意識的に、そして無意識的に社会を変化させてきた。そのメカニズムを知りたい。それが僕が大学2年くらいからずっと気になっている大きなテーマの一つです(ちなみに全然関係ないですが、なぜ”アフリカや日本などではなく”ヨーロッパで文明が発達したのかということも高校3年以来気になっていることです)。時代が勝手に変わっているかのように感じさせてしまうほど、人の意識や意図の届かないところで社会は変化しているけれども、人が社会を構成している以上人の行動や意識も少なからず社会の変化に影響を及ぼしているはずです。しかしそれについて明快に語ることができないことにモヤモヤしてきました(笑)

 さて、今回やっと本腰を入れて、時代の変化(多分これは「勝手に起きているかのような社会の変化」とも言えるはず)について、『未来に先回する思考法』という本の力を借りて、考えてみました。近年未来予測の本は数多く出ています。「これからの社会はこうなる!」みたいに声高に謳う人も少なくありません。ただ僕の興味は、何が起きるかではなく、なぜそれが起きるかという背景(メカニズム)なのです(更に抽象的・原理的なレベルでは、なぜ社会が変化するのか)。すなわち、「点」としての未来に起きる事象ではなく、「線」としての社会の流れに注目しています。前置きが長くなりましたが、自分にとって大切なテーマなので、途中で疲れないことを祈りつつ、書き進めていきます(笑)

※ちなみに今回は自分のテーマに従って本書の内容を解釈しているので、以下に書くことは必ずしも本書の本筋ではありませんし、本書の要約でもありません。本書について詳しく知りたい方はぜひ実際に読んでみてください。

未来に先回りする思考法

未来に先回りする思考法

 

 

テクノロジーが広まるプロセス

 ずっとモヤモヤしていた一つの原因は、テクノロジー(広義のテクノロジーを指します。政治、経済含む人間が発明してきたあらゆる”技”です。)について本質的に考えたことがなかったからです。なぜテクノロジーが生まれるのか、そしてテクノロジーは人々や社会にどのような影響を及ぼすのかということは、時代変化を考える上でも非常に重要です。そこでまずは、テクノロジーとは何かについて、『未来に先回りする思考法』より引用します。この本によれば、テクノロジーの特徴は3つあります。一つ目は、テクノロジーは、人間の機能を拡張します。人間は石器からインターネットまで、数え切れないほどのテクノロジーを生み出してきましたが、すべてのものに当てはまる本質的な特徴ではないでしょうか。例えば石器は人間の腕により叩き割る機能を拡張したものですし、文字や書籍は記憶という人間の頭の機能を拡張したものと言えますよね。そして、2つ目の特徴は、いずれ人間を教育することだと言います。

人間は課題を解決するテクノロジーを発明します。そして、時を経るにつれてそのテクノロジーは社会構造に深く組み込まれていき、いつしかそのテクノロジーの存在自体が人間の精神や行動を縛るようになります。

(『未来を先回りする思考法』P.30)

 このように、テクノロジーが社会に浸透すると、人々の思考様式や行動様式、もっと大きな変化の場合、パラダイムを変えてしまうことがあるのです。例えば近年の「仕事はどうなるか議論」は、人工知能などのテクノロジーが発達したからこその問いですよね。最後に三つめは、空間的な広がりです。先にもちょっと触れましたが、テクノロジーが一定の順番を経て社会に浸透していくのです。さて、ここまでテクノロジーの特徴についてみてきました。特に重要なのが、二つ目に述べた人間を教育するという特徴でしょう。時代の変化に適応するとは、まさしくこのことを指しているのではないでしょうか。例えば「これからの時代に求められている人材」なんて仰々しい議論がありますが、それは、「テクノロジー(現代の場合インターネットなど)が浸透した社会において、仕事として求められる人材とは」と言い換えることができるのです。

 テクノロジーの広がりについてはまた後で見ていくとして、ここではそもそもなぜテクノロジーが生まれるのかについて考えてみます。本書内で筆者は単純明快に「必要性があるから」と述べています。確かに、石器が発明されたのは切りたいものがあったから、叩き割りたいものがあったからです。貨幣が生まれたのは、物々交換よりも効率的に経済活動(等価交換)を進められるからです。このように、人々の必要性を起点にテクノロジーは生まれるのです。

 さて、以上、テクノロジーの広まりと誕生についてみてきました。テクノロジーには、①生まれ②広がり③人々を再教育するという一連の流れがあることがわかります(教育という表現は本書を基にしていますが、人や社会を規定するという言い方でもいいです)。当たり前じゃんと思うかもしれませんが、①~③の流れは単純なものではありません。それそのものとしては世界を変えうるテクノロジーでも、タイミング(コスト・倫理・技術・品質)によっては広がらないことがあります。例えば無線送電の技術を発明したのはニコラ・テスラですが、その名は世に知られることなく生涯を終えたそうです。その要因の一つは実験コストが高かったこと。2015年に三菱重工が実験を成功させるまで、およそ100年かかっています。技術的に可能でも、コストの問題でそのテクノロジーの普及が遅れることがあるのです。社会を変えうるテクノロジーが起こす未来をある程度予想できても、いつそれが実現するかを明らかにすることは、実は大変難しい問題なのかもしれません。次には、テクノロジーが広まるとはどういうことなのか、もう少し詳しく考えてみたいと思います。

 

テクノロジーは必要性だけで広まるのか

 1章では、時代の変化をテクノロジーという観点から考えてみました。時代の変化はやはり、おおもとを辿れば人々のニーズから始まっていたのです。しかしそれでもやっぱり、「人口知能が広まればなくなる仕事はあるし、そんな社会に適応しなくちゃいけないし、めんどくさい。」「勝手にテクノロジー広まるんじゃねえよ、もう十分便利だろ。」とか思う方もいるかもしれません。確かに私も、例えばこれ以上便利なスマホなんて必要なの?なんて思うこともあります。また、昔馬車に慣れていた人々は、「もっと早く移動したい」とか「馬より速い移動手段はないのか」とか思っていたのでしょうか?それとも車が発明されつつあることなどつゆほども知らず、今より速い移動手段など想像もせず、出てきた瞬間「おお!なんだこれ!」なんて反応をしていたのでしょうか。先ほど必要性などという話をしていましたが、人々は本当に車(または今より速い移動手段を欲していたのでしょうか)。「必要性があるからテクノロジーが生まれる」というのは物事を単純化しすぎてはいないでしょうか?そこで、本書に基づき、コンピューターの歴史についてみてみることとします。

 コンピューターも先ほどの原理に漏れず、人々の必要性から生まれました。しかし発明当時は今のように一般的に使われるのではなく、使用目的は軍事の文脈でした。初期のコンピューターは、砲撃の弾道を計算するために用いられていたのです。その後軍事用のコンピューターの発達を経て、1980年代にAppleがパーソナルコンピューターの販売を開始すると大ヒットし、個人がPCを持つ時代が到来したのです。こうしてみると、パーソナルコンピューターに対する人々の必要性とは別のところでコンピューターというテクノロジーが生まれていることがわかります(テクノロジーが必要性から生まれるという原理そのものを否定したいのではなく、社会を規定するという意味においてのテクノロジーの広まりは、従来の必要性とは関係なく起きるということが言いたいのです。)。したがって、「テクノロジーの”誕生”」と「社会を構成する大多数の人々の必要性」は必ずしも関係あるとは言い切れません(テクノロジーが広まることと必要性には関係があるとは思います)。ここで経営センスの論理 (新潮新書)の中での「(技術的に)できる」と「(顧客が)する」という区別を借用すると、重要になってくるのは、「できる」と「する」には断絶があり、「できる」から「する」までにどのような段階を踏んでいるのかということです。

 さて、話が込み入ってきました。上では結局のところ、テクノロジーが生まれてから人々に受け入れられるまでに何が起きているのかということこそ、テクノロジーの浸透を考える上で重要な問題だと言っています。テクノロジーの広まりは基本的には自由意思に基づきます。すなわち、人々が「これはいい」と思ったものしか広まらないのです。このメカニズムは、経営学の中で、イノベーター理論として知られています。下記の図を見てください。これは、消費者をイノベーター・初期採用者・前期追随者・後期追随者・遅滞者に5分類したもので、左に行けば行くほど新製品・新サービスを早く利用します。また、イノベーターは商品の真新しさのみに惹かれて購入し、初期採用者以降は商品のベネフィットを理解したうえで購入するとされています。裏を返せば、よくわかっていないけど「新しさ」に惹かれて購入する層が、最新テクノロジーと人々を繋いでいると言えないでしょうか。

f:id:lfisthink_8:20170312125000p:plain

(出典:InnovaticaのHP)

この理論がすべての商品やサービスに適用されるとは思いませんが、テクノロジーが広まる要素の一つとして、新しさそれ自体が挙げられそうです。

 少し話を変えますが、飛行機に初めて乗った人はどんな人でしょうか?普通、落ちたりしないかめちゃくちゃ不安になりそうですが、それでも乗った人たちですよね。これは、乗らないとやばい人(早く移動する必要性に迫られていた人)か、乗る勇気がある人、、またはその両方を兼ね備えた人でしょう。当初から価値が明確にわかっているものについては、その必要性が極めて強い人や勇気のある人も、テクノロジの広まりに寄与したと言えそうです。

 さて、ここまで、技術の発達と人々の必要性の間にあるものについて考察してきました。読み返してみるとずいぶんと雑な気もしますし、事実に基づくものではない(思考のみ)ですが、必要性があるだけではテクノロジーは広まらず、その前には必ず”ファーストペンギン”がいることは確かではないでしょうか。

社会と人は相互作用である

 ここまで、テクノロジーという観点から時代の変化について考えてきました(正確に言うとテクノロジーの広まりまでですが)。社会と人は一致するものではありません。相互に影響を与え合っているある意味独立したものと考えた方が正確でしょう。社会は人なしで変化しませんが(というかそもそも社会は人でできている)、一人ひとりが元気になったからといって社会が良くなるほど単純なものでもありません。そしてその相互作用こそが「時代の変化」だと思うのです。テクノロジーが広まっていてそれに適応することを迫られているようですが、それも人がテクノロジーを受け入れてきた結果だということは忘れないようにしたいと思います。順序を正すと、テクノロジーを受け入れた結果、雇用などの問題が生じ、その対応を迫られる。そのようにして社会は「秩序」と「カオス」を繰り返しているのではないかと思います。

「成長」から考える就職活動のコツ

キャリア

こんにちは。

かなり前のものですが、今日はこちらを題材に書いてみたいと思います。

そう。かの有名なちきりんさんのブログ記事です。

d.hatena.ne.jp

 

タイトルの通り、テーマは「ファーストキャリアをどのように選ぶか」ですね。この記事では、大企業では本当に成長できるの?という疑問をベースに話しが進められています。そこで以下では、就職する際に(転職する際に)考慮すべき判断軸とは何か、改めて考えてみました。

 

僕は就職活動中に色々な企業の人に会ったり、就職支援の方とお話したり、本を読んだりしながら、”働く一個人として”企業や職業をどのようにみればいいのかという「判断軸」を作ってきました(言うほど大げさなものではなく、冷静に考えれば当たり前のことですが)。

 

1. そもそも判断軸とは(意思決定のプロセス)

 例えばみなさんが新居探しをするとしましょう。そのとき、どのように考えるでしょうか?直感的に「ここだ!」と決められる人もいるかもしれません(笑)その場合でも、じっくり考えたうえで決める人でも、実は頭の中ではこのようなことを考えているのではないでしょうか。

・家賃は?

・職場へのアクセスは?

・部屋の広さは?

・バスとトイレは別か?  ・・・などなどです。

そして、「家賃は少し高いけど、職場に行きやすいしバストイレ別だしここにしよう」とか「職場へはちょっと生きづらいしちょっと狭いけど、安いところがいいからこっちにしよう」とか考えますよね。この、家賃の高低や職場へのアクセス、部屋の広さなどを判断軸と言います。人が何か意思決定するとき(直感的にせよ)、基本的には「判断軸を洗い出し」、「判断軸により選択肢を分析し」、「判断軸の優先順位に従って」「一つの選択肢に絞る」というプロセスを踏んでいると思います。

しかしキャリア選択(就職活動)となるとどうでしょうか?「自分の行きたいところを決め、どのように選考を突破するか」という勝負になっていることも少なくありません。いや、厳密にいうと、その他の判断軸がイメージにより形成されていたり、判断軸による分析がイメージによりなされていたりするのです。「給料がいい」を例にとると、そもそも「給料がいい」というのがどれくらいなのかという判断軸の精査や、ここは本当に給料がいいのかという判断軸による分析が丁寧になされていない場合があります。しかしそれでも就職活動に没頭していると、就職活動を進めている気がしてきてしまうので、本人は気づきません。しかしより良い意思決定をするためには、もう少し、自分が意思決定するためにはどのような目線で企業や職業を判断すればいいのかという判断軸を見つめ直してみたほうがいいと思うのです。

 

2. 成長とは

 さて、ちきりんさんのブログに話を戻します(笑)就活生の中でもいい加減に語られがちな言葉(判断軸)のひとつに「成長」があります。どのような環境であれば成長できるのでしょうか、そもそもこうした文脈における「成長」とは何なのでしょうか。

ちきりんさんが記事内で語っている、イケてる35歳とは、

リーダーシップがあり、

生産性の概念を身につけ、

マーケット感覚を備え、

自分のアタマで考えるスキルを持っている人

だとしています。一般論として語られる成長が、一般論として語られるイケてる人になることを指すとすれば、上記の人材になれる環境が成長できる環境と言えます。

 

3. 成長できる環境とは

 上記のリーダーシップ・生産性・マーケット感覚・自分のアタマで考えることは、一朝一夕で身に着けるものでも、机で勉強して資格を取るものでもありません。実際に職場の中で試行錯誤する中で得られるものだと思います。そうだとすれば、成長できる環境とは、「働く上でリーダーシップや生産性・マーケット感覚が必要で、自分のアタマで考える必要がある環境」と言えます。

 まあ、どこでも求められるじゃねえかという反論も想像できます。それらが必要ない環境なんてあるのかと思いますよね。そう、そこで重要になってくるのが、「いつ」「どのくらいの可能性(確率)で」それらが必要となるのかということです。例えば毎年300人近い新卒が入社する大企業と、新卒が3人入社する50人近いベンチャー企業を例にとってみましょう。

 まず大企業について。なぜ大企業は人数が多いのでしょうか?人数が多いから大企業と呼ぶのでこの質問はおかしいですね(笑)まあとにかく、人数が多いとはどのようなことを意味するのでしょうか?ビジネスモデルにもよる部分もありますが、基本的に規模の拡大は、誰にでもできることを増やしていくプロセスに近いです。すなわち、「システム」をつくっていくことですね。組織が整って事業が安定してきたら、同じようなモデルで規模を拡大していきますよね。例えば、東京だけでモノづくりをしていた企業が全国展開していくプロセスを考えれば、必然的に生産・販売の標準化が進みます。回りくどい言い方になりましたが、すなわち、大きい企業では、入社しばらくは標準化された仕事hが求められ、比較的その時期が長いと言えます(※もちろん企業や事業によるなので一概には言えません)。また、同期入社が多く、その中で優秀だと認められ昇進・昇格するのは至難の業です(組織がピラミッド状であれば、上の役職に就けるのはわずか)。すなわち、ちきりんさんが最初に述べた力を身につける環境を得られるのは時期が遅く、また、確率もあまり高くないと言わざるを得ません。

 それではベンチャー企業ではどうなのでしょうか。この企業が成長を志向しており、また、実際に成長しているのであれば、必然的に求められてくるのが標準化(既に標準化されているわけではないのがポイント)であり、事業拡大です。また、まだ役割が整っていないケースもあります。順当な「出世コース」があるわけでもありません。拡大により新たにポストができるかもしれないし、誰かが抜けて穴を埋めなければいけない可能性も高いし、一般論としてですが、相対的に、ベンチャー企業の方が成長できる環境があると言えそうです。

 

4. 最後に

 さて、長々と書くのも疲れてきました(笑)最後は言葉の選び方、論理の進め方、結論の置きどころ等雑になったかもしれませんがご勘弁ください(笑)反論や意見はコメントにてお待ちしています。

 結局言いたいのは、イメージではなく、事実と論理に基づいて企業を見ようねということです。なぜそこでは成長できそうなのか、なぜここは給料がいいのか、なぜここは(企業として)安定しているのかなどは、、信頼できる情報を得、自分のアタマで考えればイメージでなく、より正確に理解できます。より正確な理解は、よりより意思決定に繋がります。キャリア選択は人生の選択です。ともにパッションとロジックのバランスを取りながら、自分の納得できる人生を生きていきましょう。ではでは。

ベンチャー企業や起業の意義とは?(『会社はこれからどうなるのか』読書録)

最近学生の間でも、ベンチャー企業への就職や起業がキャリアの選択肢として考えられるようになってきたと思います。かくいう私もベンチャー企業インターンをしています。(もちろん一概にすべてのベンチャー企業に当てはまることではないでしょうが、)働く個人にとって、ベンチャー企業で働くことは、働きがいや成長などにおいてとても良い選択肢であると思います(今回のメインテーマはこれではないので、省略します。「働きがい」「成長」とか無思考感があってあまり好きな言葉ではないですが、とりあえずわかりやすいので笑)。一方で、社会や経済にとっても、ベンチャー企業が成長すること、新しい事業や企業が立ち上がること(新規事業創造・起業)は意味あることなのです。今回は、単なる風潮としての「ブーム」ではなく、経済や産業といった視点から、ベンチャー企業が成長すること、新しい事業や企業が立ち上がることの意義について考えてみたいと思います。

なお以下は、経済学者である岩井克人氏の『会社はこれからどうなるのか』を参考にしながら書いています。もっと詳しく知りたい方はぜひ読んでみてください。

 

会社はこれからどうなるのか (平凡社ライブラリー い 32-1)

会社はこれからどうなるのか (平凡社ライブラリー い 32-1)

 

 

1. 資本主義とは―起業・ベンチャー企業を考える前に―

 本書では、資本主義を「利潤を永続的に追求していく経済活動」としています。そしてその起源は、ある場所で採れる黒曜石を、黒曜石の採れない地域で販売するというように、価値の差異(この場合、後者の地域の方が黒曜石の価値は高い)を利用して利益をあげるといいう「交易」になります。差異を媒介して利益を生むことが資本主義の原理であり、これは現在に至るまで変わることのないものです。

 

2. 近年の三大変化

 先述した通り、資本主義における企業活動とは、差異性を創ることで利潤を追求することです。しかし資本主義とは、企業が差異を生み出そうとすればするほど差異を生み出しにくくなるという自己矛盾的なシステムであると主張しています。それは、近年では「IT革命」「グローバル化」「金融革命という3つの大きな”時代変化”に代表されます。

 IT革命が可能にしたのは、情報格差そのものを利用したビジネス、すなわち、(主に)インターネットを通じて顧客に情報を提供するビジネスです。つい最近とあるウェブサイトが炎上しましたが、情報を持っている人が、持っていない人に対して(それも理論上全世界の人に対して)情報提供することを可能にしたのです。

 グローバル化は、ヒト・モノ・カネ、情報の移動が技術的に容易になったことがその要因だと語られがちです。もちろん技術がグローバル化を後押ししたのは確かですが、そもそもグローバル化を推し進めた思想こそが資本主義(差異性の追求)だったのです。それはもちろん、低賃金労働者を雇うことでコストダウン(他社との価格差異の追求)を目指す取り組みが代表的でしょう。

 もう一つが、金融革命です。時間や空間やリスクに対する考え方など好みや必要性の間の差異性を利用して、カネそのものによって利潤を得ようとしたのです。 

 

3. 産業の新陳代謝の必要性

 しかしそれでも、顧客の数の頭打ち(グローバル化とはいえ限界がある)、コストダウンの限界などにより、差異性の追求は限界を迎えつつあります。例えば事業撤退とは、企業経営の問題とすることもできつつ、産業構造の問題でもあるのです(例えば三菱重工の大型客船事業の撤退)。

 既存事業において利益を生み出しづらくなってきている(それは賃金の減少、雇用の減少、経済の衰退などをもたらす)状況の中で必要なのは、新たなサービス・商品の創造です。

一国経済の立場からは、古い会社が市場から撤退していくのに応じて、新しい会社が市場に参入してこなければ、これまでの雇用が維持できません。さらに、参入した新しい会社が十分に利潤を生みだしていかなければ、これからの投資資金も生まれません。会社全体の新陳代謝が円滑におこなわれることが、一国経済にとって死活問題となっているのです。

(『会社はこれからどうなるのか』P.333-334)

 そしてその役割を担うのが、新産業の中で成長を目指すベンチャー企業に他ならないのです。このように、経済という視点から考えてみても、ベンチャー企業や起業という形で新産業を創出することは意義あることなのです。就職とは、自分という身を社会へ投じること。自分は社会をより良くするために、どのような意思決定をしたいでしょう?この投稿も参考にしながら考えてみてください。

ベンチャー企業を成長させるには『ザ・会社改造』(三枝匡)

経営 読んだ本

400ページ以上もある、ボリュームのある本『ザ・会社改造』(日本新聞経済新聞出版社)を呼んだ。これは、筆者である三枝匡氏が、当時社員340名程度だったミスミを、社員1万人超のグローバルカンパニーまで成長させたストーリーを再現したものである。物語形式で進むので非常に読みやすく、400ページもある本にしてはすらすらと読めた。

リアルで具体的なストーリーが展開されていく中で、三枝氏が経営者として考えていたことや知見についてもまとめられており、物語としても、経営や戦略を学ぶ本としても活用できる。 

 

 

 

 

本書の中で一貫して言い続けていることは、「勝てる戦略をロジカルに構築すること」「成長のためには変化し続けること」だと思う。

ベンチャー企業で働いている(経営者ではない)人目線からすれば、自社の現状の戦略や今後成長していくための戦略について考えながら読むと理解しやすいだろう。

 

 

ビジネスで社会貢献したい人におすすめしたい本

読んだ本 キャリア

「社会のために働きたいっす!」

こんなことを本気で思う方が読むべき一冊、それが山口絵里子氏の『裸でも生きる』です。

 

裸でも生きる ~25歳女性起業家の号泣戦記~ (講談社+α文庫)

裸でも生きる ~25歳女性起業家の号泣戦記~ (講談社+α文庫)

 

 

 1. 株式会社マザーハウス代表取締役社長 山口絵里子さん

マザーハウスという会社をつくり、途上国から世界に通用するブランドをつくることを目指して奮闘してきた山口絵里子さん。パワフルで、ジェットコースターのように激しく、そして全力で生きてきたことを感じられます。「起業したい」「社会のために働きたい」などを口に出すのは簡単だけど、マザーハウス創業当時の苦労を知れば、本当に困難な道だと実感できます。

 

マザーハウス」、「山口絵里子さん」。片方でも初耳って人は、以下の記事を読んでおきましょう(笑)

goo.gl

詳しい内容は、ぜひ本書を読んでみていただきたいのですが、はっとさせられた部分について、自分なりにまとめてみました。

 

2. 何者として、社会問題に取り組みたいか

 山口さんは学生時代、ワシントンの国際機関で働いています。 国際開発に興味を持ち、それ以来国際機関で働くことを目指していました。そこで働くのは、例えばオックスフォード大学大学院を経済学で卒業した人や、アルゼンチンの裕福な家庭で生まれ育った人。途上国の実情を、生身の感覚で知っている人はいませんでした。

「国際機関はいつだってトップに存在する。現場では、NGOを使い、そしてフィールドで生臭い活動ができる人たちを使い、僕たちトップは頭を使う。正論だと思うよ」

 (『裸でも生きる』P.66, 67より)

これは山口さんの同僚からいわれた言葉です。実際に、援助の全体的な方向性は、国際機関が決め、それを実行していくのが現場の役割と捉えることもできるかもしれません。当時の山口さんはこのことに違和感を感じました。現場を知らずに理論だけで政策を作っていては、現場の声が全く反映されないと。

  山口さんは結局、アメリカではなく、「現場」で社会問題に取り組む決意をしました。自分のやっていることが本当にインパクトがあるのか、現場の感触を確かめながら活動していきたいと考えたからです。

 しばしば「官僚になって社会を変えたい!」などと言う人がいます。しかし、当たり前ですが、社会を変える担い手は、行政のみではありません。教育を例に取れば、現場である先生や、教育委員会文部科学省などの行政機関がありますよね。社会を実際に変えていく主体は、現場にあります。もちろん国家の中枢も無意味なわけではありません。どちらの立場にもメリット・デメリットがあるはずです(ちなみに「産業創出支援」や「ベンチャー支援」も行政が取り組もうとしています。このあたりについての意見も今度書いてみようかと思います)。

 みなさんは、どのような立場で社会を良くしたいでしょうか?今一度考えてみると良いかもしれません。

 

3. ビジネスは、あくまでビジネスである

 マザーハウスが目指しているのは、途上国から世界に通用するブランドをつくること。一ブランドとして優れた商品になるよう努力しているわけです。言い換えれば、「途上国が貧しいから援助したい」ということがマザーハウスの商品を買う理由になってはいけないのです。

モノの意味や、心のコアにあるたくさんの熱い想いを、社会に伝える場や方法はたくさんあるわけで、卸先や取引先へ伝えるべきものは、まったく別物だ。

(『裸でも生きる』P.165, 166より)

 ビジネスとは、相手のニーズに応えることです。したがって、「貧しい人を助けたいから買う」という売り手視点のビジネスは、本来望ましいところではありません。継続的に利益を得て生活を安定させていくためにも、自分たちは人々を喜ばせるものをつくっている誇りをもって働くためにも、より良い商品をつくって「これが欲しい!」と思ってもらうことが最重要なのです。

 近江商人の言葉にあるように、やはり”商い”とは、「売り手良し」「買い手良し」「世間良し」の三方良しを追求しなければいけないのでしょう。

 

 

 ソーシャルビジネスという言葉はずいぶん有名になりました。継続的に利益を追求しながら社会課題解決に挑む人は増えています。しかし一方で、まだまだ「ボランティア活動」の延長と捉えられることも少なくありません。ソーシャルビジネスは、ビジネスと同様のスキルが求められる非常に厳しく、一方でやりがいもある領域と言えるのでしょうね。ソーシャルビジネスに興味がある方は、フローレンスの駒崎弘樹さんのエッセイ『「社会を変える」を仕事にする』もおすすめです。起業までのストーリーは、エッセイという形で美化されてもこんなにハチャメチャなのかと実感すると思います(笑)

ではでは。

 

「社会を変える」を仕事にする: 社会起業家という生き方 (ちくま文庫)

「社会を変える」を仕事にする: 社会起業家という生き方 (ちくま文庫)

 

 

 

自己分析でやりたいことは見つかるか~就職活動の落とし穴!?~

キャリア 考えたこと

1. 前説

『夢があふれる社会に希望はあるか』を読んだ。なぜこんなにも夢を持つことがいいこととされるのか。現代社会における「夢を持つ圧力」への疑問から、夢の持ち方までを論じた書である。筆者は、夢を持っている子どもが年齢を重ねるにつれて減っていくこと、また、夢が実現していなくてもそれなりに満足したキャリアを歩んでいることをデータで示し、必ずしも夢が人にとって重要ではないのではないかと問題提起している。
そして、夢を持つことが「良いこと」とされ、夢を持っていない人を追い詰めることに対して否定的な立場をとっている。
 「夢なんてなくたって幸せになれる」。それはそうであろう(※これは「夢を持つべきという主張」に対するアンチテーゼであるわけで、「夢を持つ/持たないがいいことかどうか」という議論ではない。)。すなわち、社会的な風潮が議論の対象になっている。

2. 夢はどこから生まれるのか

 私はそんな社会学的な(?)本書を読みながら、夢の源泉について考えていた。すなわち、夢はどこから湧いてくるのかということだ。当たり前だが、夢は個々人の中から出てくる。しかし、本当にそうだろうか。なぜその人は夢が湧いてくるのだろうか。

 ここで、将来の夢がパン屋さんである少女を例にとって考えてみる。「パン屋さんになりたい」と語る少女は、なぜ「パン屋さんになりたい」と思うのだろうか。これには2つの要素が必要である。①パン屋さんを「知っている」こと②パン屋さんに「憧れている」こと。夢の源泉を考えることは、人が「物事を知るプロセス」と「何かに惹かれるプロセス」を考えることにほかならない。

 物事を知る(経験も含む)こと。それは社会との関わりがあって初めてできることである。家に引きこもって、文字通り何もしなければ、パン屋という職業を知ることも、そもそもパンがあることも、そのパンが誰かによってつくられていることも知りようがない(文字通り何もしなければ、である)。したがって、物事を知るプロセスは、内発的であることよりも、社会的なものである。知識や経験は、社会と関わる(=生きる)ことを通じて初めて得られるものである。
 ここで言いたかったのは、夢とは社会で生きているからこそ生じるということだ。「惹かれる」という事象がどのように生じるのかは正直定かではないが、少なからず、一定程度のインプットなしには生じ得ない。さらに「一定程度」の時間も人により個人差があるだろう。小学生時代からサッカー選手になりたくてずっとプロを目指せる人もいれば、小学校の時に夢などない人もいる。
 ありたい姿はその人の中に絶対あるはずだという主張は、ともすれば誰かを苦しめることになるかもしれない。まだその人が、いずれ夢になるものと出会っていないかもしれないからだ。

 話が本書の主題とは逸れたが、このことは、キャリア教育やコーチングに関心を寄せてきた自分にとっては重要なテーマだった。昨今、考えることの重要性、内省することの重要性が至る所で叫ばれている。そんなときこそ、インプットの重要性に思いを馳せてみてもよいのではないだろうか。

 

 3. やりたいことがない人へ

 「やりたいことがない」。これは、就職活動をはじめとして、将来の意思決定を迫られた人ならばほとんどの人が直面する課題だろう。先の話を踏まえれば、やりたいことがないのは、まだやりたいことに出会っていないからかもしれない。

 就職活動を進める方は、社会・今後の社会動向・業界・職種などを学んでいるだろうか。社会がどのように変化しようとしていて、そこでどのようなニーズが生まれてきて、どんな仕事が重要になってくるのか、考えたことはあるだろうか。もしこれらについて無知であるならば、そもそもやりたいことなど知りようがないだろう。キャリアはどのような要素で成り立ちどのようなことを考えるべきか知らなければ、キャリアなど描けないだろう。

 やりたいことがない人は、自己分析を一旦やめて、色々な社会人に会ったりセミナーに行ってみたりしてはどうだろうか。私がどのようなインプットをしてきたかについては、次回書くこととする。繰り返すが、ここで言いたかったのは、十分なインプットなくしては、やりたいことなど出てこないということだ。

 

4. じゃあお前はどうなんだ?~自戒を込めて~

 私もまだまだ大学生である。就職先は決まっているものの、まだまだ経験も知識も少ない。ビジネス経験と呼べるようなものは、インターンでの約1年くらいしかない。それでも、様々なことをインプットし、考え、意思決定したつもりである。

 このブログ読者に就職活動中の学生、これから就職活動をする学生がいることを信じて、次回、自分の就職活動を振り返ってみたいと思う。キャリア選択にあたって、自分がどのようなことを学んできたのか、どのようなことを考えてきたのか、まとめてみることにします。お楽しみに!

 

【就職活動】自己分析の注意点 価値観がわかっても・・・

考えたこと

就職活動中よく聞く言葉、とりわけ、就職活動になって初めて聞く言葉。その1つは間違いなく「自己分析」でしょう。「自己分析もうやった?」「一緒に自己分析やろう!」などという会話は就職活動を経験した人なら一度は聞いたことがあるかもしれません。自己分析は、選考対策という文脈で使われることも多いですが、一方で、単純に、自分と適性のある職業や企業を探す際の分析ツールと捉えることもできますよね。

さて、今日は自己分析のやり方を考えてみたいわけではなく(笑)、自己分析でできること・できないことを考えながら、就職活動でより良い意思決定をするためには何をすべきか、考えてみたいと思います。

 

1. 自己分析とは

自己分析とは、色々な定義があるしやり方も様々ですが、ざっくりと言えば、「自分を知ること」だと思います。自分はどんな時に頑張れるのか、自分はどんな性格か、自分はどんなことに問題意識があるのか、何を好きだと感じ、何に嫌気がさすのか・・・。基本的にはこのようなことを明確にし言語化することが自己分析だと思われます。

就職活動という文脈においては、「自分に適した企業・職業を見つけるために、自分自身の価値観や性格、欲求を知ること」だと言えるでしょう。このように、自己分析によって、自分が活きる上で大切にしたいことが(改めて)見えてくることがあります。自分の物事の判断基準を明確にすることは、間違いなく就職活動における意思決定にも役立つはずです。例えば、めちゃくちゃお金持ちになりたいと思っている人は、めちゃくちゃお金持ちになれる職業を探せばよいのです。

 

2. 自己分析でできないこと

さて、先ほどの例で言えば、自己分析で明らかになることは、「自分が経済的に豊かな生活がしたい」ということです(「こんなの自己分析なんてしなくてもわかるじゃん!」と思う方がいるかもしれませんが、「お金持ちになりたい」と漠然と思うのではなく、お金持ちになることでどのような生活を送りたいのか考えることで改めて「自分はお金持ちになりたい」と納得できるのは、非常に有意義だと思います)。

裏を返せば、自己分析では、「自分の価値観(例で言えば、経済的に豊かな生活が送りたいこと)」までしかわからないのです。もっと言えば、自分の価値観に合う具体的な選択肢は、いくら自分を深掘りしても出てくることはありません。私はこれを、就職活動の「罠」だと思っています。

 

3. 抜け出せないバイアス

罠だと思うのには、2つのワケがあります。

1つ目は、価値観を丁寧に深掘りしようとしないことです(これは自己分析の限界とは直接的には関係ないですが)。例えば、お金持ちになりたい人は、どうしてお金持ちになりないのでしょうか?何が欲しいのでしょうか?何が満たされるのでしょうか?これらに答えられないときは、お金持ちになることが自分の価値観ではないかもしれません。就職活動における判断軸に、「安定」「成長」「高給」など、いくつか典型的なものがあるおかげで、人々は、それが自分のニーズだと思ってしまいがちなのです。「いい企業」ともてはやされていると、それが社会的に良い企業なのか、私にとっていい企業なのかわからなくなってしまい、結局それらを混同してしまいます。改めて、「”自分は”どんな生活を送れたら幸せだと思うのか」ということを、じっくり考えてみる必要があるのではないかと思っています。

2つ目は、自分の価値観を満たせる企業を無意識的に知ってしまっている上に、それが必ずしも正しいわけではないということです。例えば、給料がめちゃくちゃ高い会社はどこでしょうか?なんとなく、銀行や商社などが思いつくかもしれません。しかし本当にそうでしょうか?本当にそれだけでしょうか?私たちは、「これまで」、特に親世代のものの知識が無意識に刷り込まれているおかげで、「これから」お金持ちになれる(例です)企業を知る機会を中々持とうとしません。私たちが10年前と比べてかなり平均賃金が下がっている企業もあるでしょうし、逆に10年前には存在していないような起業でもめちゃくちゃ利益を上げていて高給の企業もあるのだと思います。

ここで言いたいことは、「自分の価値観」と「職業選択・企業選択」は切り分けて考えるべきだということです。自分の価値観にあう企業かどうかは、それなりに社会のこと、企業のことを知らなければわかりません。

例えば三菱重工。先日長崎でリストラを実施するというような趣旨の報道がなされました。これは、大型客船事業の撤退に伴うものです。同事業のトップ企業が事業撤退するということは、市場そのものに今後将来性がないという判断なのかもしれません。安定とは何かということは改めて論じてみたいですが、大企業だからとか中小企業だからとかではなく、本質的には「その事業が世の中から求められているかどうか」が安定ということなのだと思います。このように、今行きたい企業は今後も求められ続けていくか知り、考え続ける必要があるのでしょう。

 

4. 最後に

書きなぐったようになってしまいましたが、結論は、「自分の価値観は自分を深掘りすれば見つかるかもしれないが、それに合う企業は、情報を知り考えない限り見つからないと思う」ということです。安定している企業?成長できる企業?みなさんに合う企業がどのようなところかは、皆さん自身が知っています。しかし、それが具体的にどこなのかは情報収取と考えることなくしてわかりっこないのです。